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祖父の一句
今日は祖母が亡くなった2年後の87年に
祖父母が生前書き綴った短歌と俳句を
1冊の本にまとめた
家族報「ふる里」
について書きたいぜ。
家内と留郁が病院を退院し
家に帰ってくる前日に父から
その「ふる里」が
改めて郵送され届いたぜ。
「ふる里」は
祖母が亡くなったあと
1987年に祖父と祖母が生前に書き綴った
俳句と短歌を
本にまとめたものだぜ。
さし絵を二人の叔父が担当し
祖父母の随想を父と叔母が書き下ろし
家族みんなが思いをこめて
制作したものであることが理解できる
素晴らしい作品だったぜ!
じつは、87年当時は
俺は親元を離れ
東京で働いていたため
「ふる里」
という本をみんなで制作したということでもらったが
全くその価値を俺は分かっていなかったぜ。
というよりも、この本は読まずに本棚にしまっていたぜ。
それから20年の時を経て
自分が親となり
家内と息子が退院する前日、
俺がひとりで過ごす最後の夜に
偶然にも
「ふる里」
を父が俺のために贈ってくれて
改めてじっくり読んで
その価値が腹に落ちたというわけだぜ。
おそらく、父は読んでいないであろう俺の性格を熟知し、
子供ができたタイミングで再度贈ろうとの戦略を
立ててたように感じられるぜ!
父はこの本の中で
小学校時代の俺を
「桃太郎」だと書いていたぜ。
昆虫好きで
友達が多く
どこにいっても
仲間をつくって家に連れてくる性格から
「桃太郎」だと書いていたぜ。
確かに、そんな気もするな。
桃太郎とはよく言ったものだ、
と一人感慨深く読みふけったぜ。
わざわざ、
こんなことにコストをかけて
時間をかけて
いったい何のために?
と当時は否定的だったぜ!
しかし今読み返してみて、
様々な経験を通じて自分が成長し
「ふる里」の存在を
改めて考えたとき、
この制作プロセスが
家族としての風土形成をつかさどり、
そんな風土で育ったからこそ
俺という人格が形成されたと
ルーツと言えるものを感じることができたぜ!
人の親になって、
親の気持ちが分かるという
典型的心境に至ったぜ!
留郁、
青森に行ったらノコギリクワガタの
とり方を伝授するぜ。
俺のように桃太郎となってほしいぜ、
熱いぜ!!
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